その現(うつつ)だけがここにある

2025.01.05 マガジン

2019年に話題となった『ファクトフルネス』から5年が経過した昨年、僕はファクトについて考えることが多かった。
これまで、ファクトを正確に捉えることが尊いと思って生きてきたが、初めてそこに疑問符が付いた。

兵庫県知事選挙で話題になった、従来のマスメディアとSNSなどに代表されるソーシャルメディアの比較の構造。
マスメディアの信用が大きく失墜した、というのが世間の共通認識だ。
マスメディアは広告収入モデルで成り立っており、スポンサー企業などの様々な方面に忖度をせざるを得ない構造になっている。
完全に中立な報道を期待するのは難しい。
しかし、完全に中立な発信をするメディアがあるかと言われると、おそらくそんなものはない。

兵庫県知事選は旧来のマスメディアとソーシャルメディアの戦いの様相を呈し、多くの人にソーシャルメディアの力がマスメディアの権力を屈服させたように映っただろう。
胸がすく思いをした方も少なくないだろう。
ソーシャルメディアが発信する情報も精度の高いものもあれば、そうでないものもある。
何が真実なのかなんて分からないし、見る者の視点の影響を受ける以上、恣意性を完全に排除することなんて無理だ。
これまでは、権威のあるメディアが発信する情報が真実であるという、ある種の幻想を抱いていただけなのだと思う。
真実はいつも一つ、ではないのだ。真実か否かは意味を持たなくなってきている。
それぞれが信じたいものを信じればよいし、自分の理想とする世界観を思い描き、そこに突き進めばよいのだと思う。

これまではすぐそこにあった“拠り所”が消失し、自身で“拠り所”を見つけ出さなければいけなくなった。
いくら情報を集めても不完全な中で、自分で情報を集め、自分で世界を定義し、自分の生きる態度を自分で決めるしかない。

いくら情報を集めても真実にたどり着けない世界においては、自身で見聞きした、体験した情報の価値はそうでないものと大きな差が生じるだろう。
それこそが唯一の真実なのだと言っていいかもしれない。
加工されていない情報は時に惨く、残酷である。
世界で生じている問題を追及すると、利権(多くの場合はお金)、人の醜さ、旧態依然とした制度などに到達し、何とも言えない気持ちになる。
人はそれぞれの立場がある以上、分断も起きる。
しかし、その最前線で奮闘している人がいる、苦しんでいる人がいる。
多くの人の営みがそこにはある。直視するのが苦しい営みがある。
生きていると苦しいことが本当に多い。
どうせ苦しむのなら、苦しみ方くらいは自分で決めたいと思う。
苦しみ方を決めることこそが、生きる態度を決めることなのかもしれない。

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