労働の悦び

2024.11.25 マガジン

勤労感謝の日にこの文章を書いている。

労働の悦びとの初対面を思い出してみる。
高1の夏、アート引越センターでのバイト、うだるような暑さの中での肉体労働。
社員の罵声も飛んでくる。一日中、重い段ボールを運び続けて、日給が9千いくらか。
給与は当日に事務所で現金で渡される。
差額を支払い、何かの書類にシャチハタを押し、1万円札を受け取る。帰り道に吸ったセブンスターはとてつもなく美味しかった。

高1の秋から高3の夏までは新聞配達のバイトをしていた。
基本的に月1回の休刊日以外は毎朝4時に起きて朝刊を配る。雨の日だろうが、雪の日だろうが。
大晦日~元旦にかけては友達の家に集まって適当に過ごし、近くの神社に初詣に行ったりするのが慣習だったが、僕は途中2時間くらい抜けなければいけなかった。なかなか辛いよ。これは。
夫婦で営んでいる営業所だったのだが、寒い日に朝刊を配り終えてに帰ってくるとしばしば、温かい缶コーヒーをお母さんが用意してくれていた。
たまに余ったスポーツ新聞もくれた。
日給が2千円だったので、毎月の給料は約6万円だった。

大学生の時はラーメン屋でバイトをしていた。
割と手際よく仕事が出来た方なので、社員がいない日でも僕がいれば営業が出来た。
仕込み~発注まで全てやっていた。
なかなかブラックな環境で、11時~26時までの通し営業に3日連続で入ったりもしていた。
10時過ぎに店を開けて、仕込みをして、営業時間が終わると、掃除をして、レジを締めて、午前3時前に終わる。
僕とラーメンが作れないバイトで営業する日は、休憩が取れないので、「お客さんが来たら起こして。」と言って、狭いバックヤードで椅子に座って眠っていた。
大学にはほとんど行っていなかったので、時給900円くらいで、多いときは20万以上の稼ぎがあった。

他にも色々とバイトは経験したが、今回書いたバイトは全て給料が手渡しだった。
肉体を酷使し、手触り感を持って稼ぐという経験が出来たことは本当に良かったと思う。
労働の後の、たばこ、缶コーヒー、ビールは実に美味しかった。

所謂ホワイトカラーの仕事がAIに代替されていく中、肉体労働はあまりAIに代替されず、給与面の条件が良いことも注目を浴びている。
人が人たる所以、人と人口知能を分かつ最たるものは肉体を持つか否かである。

肉体が感じることにもっともっと敏感にならなければいけないような気がする。
そんなことをふと思った2024年11月23日であった。

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