相対的な世界で絶対的なものを見つける、それこそが生きるよろこびなのかもしれない

2024.07.11 お知らせ

正義の色は玉虫色。この言葉にすがって生きている。
世の中の対立のほとんどが正義と悪の対立ではなく、正義と正義の対立であり、みんなそれぞれ守りたいものがある。そう考えると心は驚くほどに穏やかでいられる。対立に巻き込まれようとも。

一方で、この考えは自身を厭世的、冷笑的な立場に追いやろうとする。相対化される世界で明確にポジションを取らずに、「まぁ、それぞれの立場があるからね。」と世界を理解している素振りで、傷つかずにすむ安全圏に安住し達観する。
これはクソださいと思う。
相対化された世界をそのまま受け入れたい自分と、その中にも絶対的なものを見出したい自分とが存在する。傷つきたくないと思う一方で、思いっきり傷つきたいとも思う。 

派兵された経験のあるやなせたかし氏は、戦後のヒーローものに違和感を抱いたようだ。ウルトラマン、マジンガーZなど勧善懲悪を全面に打ち出したストーリー展開は、戦争体験の中で、争う者同士に正義も悪もないという感覚を得た彼にとっては、滑稽にすら映ったのかもしれない。
正義は視点の置き方次第でいつでも逆転すると。
そこで、やなせ氏は考えた。逆転しない正義とは何か?その答えが、飢えた人に食べ物を差し出すことであると。

戦争で飢餓も体験した故の発想なのかもしれない。この考えが、アンパンマンという自分の顔をちぎって他者に分け与えるという異質のヒーローを生み出した。

この逸話を聞いて、自身の生きる態度を顧みた。絶対的な正義なんて存在しえない中で、絶対的なものを見出し、それを大切にして生きていく。そんな風に生きられたらどれだけ素晴らしいだろうと思った。COTEN RADIOのやなせたかし編は素晴らしい内容だったので是非、聴いてみて欲しい。

正義に限らずではあるが、絶対的なものを大切に生きていきたい。目の前にいる人に自分が差し出せるものを差し出す、野球場でボールがカクテル光線に照らされながらスタンドに入る瞬間、必死で働いたあとに仲間と飲むビール、自分が発した言葉に誰かが笑ってくれること、仕事での契約の締結など、日常の刹那や抑圧と解放の中にこそ、絶対的なものが潜んでいる。

悠久の時間軸の中で、コントロールし得ない大いなる力に生かされているという畏怖を感じながらも、刹那の快楽に溺れることが出来ることは人間に与えられた特権ではないだろうか。
そして、敢えて、それこそが絶対的な正義であると言いたい。瞬間を記憶装置に閉じ込め永遠と化すことが出来、永遠から想い出の引き出しを開け瞬間を切り出すことが出来る、この与えられた能力を十分に生かして人生を味わいつくす。永遠なる欲望の果てに誰もが土に戻るのだから。

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