資本主義の限界を超える〜ファンドレイジングの力〜
2025.01.20 マガジンフォーブスの「いま注目のNPO50」に仕事でお世話になったことがある方の法人が選出された。
その領域で、相当に先端的な取り組みをされている団体である。
ふと気になり、収支などを調べてみた。
年間収支は約4億円であり、その内訳は事業収益が約9,000万円、助成金などが約2.8億円、寄付金が約150万円、残りはその他の収益であった。
とても素晴らしい取り組みをされていて、且つフォーブスにも選出されるような団体なのでもっともっと経済的にも成長して欲しいという想いに駆られた。
寄附金の受領がわずか150万円とは。
最近、ファンドレイジングという言葉や概念に触れる機会が増えてきた。
ファンドレイジングとは民間非営利団体が「活動のための資金を個人、法人、政府などから集める行為」と日本ファンドレイジング協会が定義している。
NPO/NGOや財団などが分かりやすい例かもしれないが、大学、研究機関、美術館、博物館、スポーツチーム、福祉施設なども民間非営利団体の中に含まれるそうだ。
これらの団体が寄附や会費、助成金などの資金を“対価の支払いなく”集めることをファンドレイジングと呼ぶそうだ。クラウドファンディングも部分的にはファンドレイジングに含まれる場合がある。
(実施主体が民間非営利団体であり、対価の支払いをしない場合である。)
“金銭的な”リスク/インプットにリターン/アウトプットが釣り合わない限り、必要な領域に必要なお金が流れない、市場が形成されない。
これは資本主義の構造的な問題である。
100万人に1人くらいの確率でしか罹患しない病気の医薬品を開発しても儲からない(そもそも患者さんが少ないので治験を成立させるのも難しい)ので、製薬企業が積極的に希少な疾患の治療薬の研究/開発に乗り出せないことは分かりやすい事例だろう。
(もちろん、希少疾患に対する治療薬には高額な薬価が付与されるなどのインセンティブは用意されているが。)
資本主義の思想に従い、経済活動をまわすことで人は多くの社会課題を解決してきた。
冷蔵庫が食中毒を減らし、洗濯機が睡眠時間を伸ばし、ビデオカメラが想い出を保存することによる心の豊かさをもたらしてくれた。
これらの事例においては、経済成長と人々の豊かさの増大とが比例関係にあると言っていい。
資本主義の素晴らしさはこの点にある。
一方、解決しても儲かりにくい分野が残されている。
現時点では、事業として貧困問題を解決しても、障害者の雇用を促進しても、劇的に儲かる(例えば、営業利益率が30%確保出来る)ことはほぼないだろう。
故、これらは、社会福祉の領域として扱われることがほとんどである。
そんな中、障害者アートを資本主義市場のど真ん中にぶつけてきたヘラルボニーは多くの称賛を獲得している。
取り残された課題を解決することをビジネスにして、持続性を担保することが大切である一方で、仮に経済的なリターンの要素が弱くとも、もっと多くの資金が費やされる環境をつくることも大切である。このことが、ファンドレイジングが資本主義構造への手当てになると考える理由である。
この世界にお金は余っている。
少数の者が大多数の富を持つ、ピケティのr>gなどは周知の事実であるが、世界がそれらを認識したところで、経済は抽象的に成長を遂げている。
抽象的であればあるほど、成長するのが経済なのかもしれない。
経済に弱い立場を鑑みる慈悲なんてものはない。
神の見えざる手も働かない。
人間の意志と行動によってのみチューニングが可能だ。
もう少し具体的な話をする。日本では毎年、1000億円ほどの金額が日本の休眠預金に指定される。
それらは、社会的に意義のある事業に使われることにはなっているが、開示/透明性の部分が担保されているとは言えない。
ファンドレイジングが盛り上がると、こういったお金が本当に必要とされる活動に費やされる。
ファンドレイザーの仕事は、お金を出す主体と、お金の受け手(NPO法人など)をつなぐことである。
この活動は、資本主義市場で行われている経済活動ととても似ているところがある。
お金の受け手となる団体を探してくる、その団体の魅力を探し、寄附の主体者候補に情報を提供し、「それであれば寄附をしてもいいかな。」と思って頂き、お金を出して頂く行為は営業/事業開発/マーケティングの要素を多分に含んでいる。
また、寄附の受け手の団体のお金の使途やそれによるアウトプット、アウトカムを開示し、社会からのフィードバックを受け、より良い活動に昇華させる行為はIR活動そのものと言っていい。
寄附の出し手が株主、寄附の受け手が企業という、資本主義市場で当たり前に成立している関係と相似している。寄附の原則で言うと対価を受け取らないのだが、自分の寄附が社会にどのように役に立っているのか、を知る/体感が出来ることで寄附の出し手には確実に心の豊さが形成される。
それは、何にも代えがたい“対価”なのだと思う。営業としてマーケッターとして、それらを演出することは、分かりやすい経済的なインセンティブや恐怖で煽り購買を促すことよりも難易度は高いだろうが、人間の善性を創発させるという点で、遥かに創造的で社会が豊かになる行為である。経済的な行為というよりも、文化的な行為と言っていいかもしれない。
更に、僕もその分野に友人/知人が多いが、非営利活動法人などで活動をされている方(特に福祉領域の方)は人として真っ当で善い方が多い。
一方で、資本主義の構造をハックすることが苦手な方が多い。お金に対するブロックを強くお持ちの印象もある。
なので、優秀なファンドレイザーとは良い補完関係になり得るし、福祉の領域にも多少の競争原理が働き、お金を有効に使える団体が繁栄し、そうでない団体は淘汰される方向に向かった方がいいと、個人的には考えている。
寄附の市場は個人寄附だけでも1兆円を超え、10年前比でも約2.5倍に成長している。
資本主義市場で必死に戦い、場合によっては清濁を飲み込みながらお金を稼ぐ能力を身に付けた方が、社会を善くするためにその能力を発揮するフロンティアが確実に広がっている。
参考資料)
https://www.fundio.co.jp/blog/fundraising
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