営業と哲学と私
2024.04.16 お知らせ自分がその職に従事してきた為、一定のバイアスがあることは認めるけど、営業はとても創造的で魅力的な仕事だと思う。
会う、本音で話してもらえる関係を作る、顕在化しているニーズを確認する、潜在化しているニーズまで確認する、ニーズに沿った最適な提案をする、クロージングする、納品する、お金を回収する、営業の工程を雑にまとめるとこんな感じだろう。
BANTを確認するだの、相手に選択肢を与えるだの営業の技術的な話は色々あるんだろうけど、相手との交渉が行き着くとこまで行けば、哲学と哲学のぶつかり合いになることがある。
その商品やサービスを買うかどうかは、その商品やサービスが作り出す世界観に一票を投じることでもある。(大袈裟なのも、異論があることも認める。)
例えば高価な抗がん剤を売る製薬会社の営業担当のことを考えてみる。
日本では非常に高価な薬剤であっても国民皆保険制度やら、高額療養制度やらのお陰でほとんどの国民に、その治療へのアクセシビリティが担保されている。こんな国はほとんどない。
その治療費の出処は皆さんが払った税金である。年間何千万円もの税金を投じて、高齢者の命を数年、もしくは数ヶ月延命させることの是非、これはもうその人の哲学、世界観にしか答えはない。
営業担当と処方する医師の哲学と哲学がぶつかる瞬間がある。葛藤し、苦しみ、色んな矛盾を飲み込み、もがき、たどり着いた哲学には美しさが宿る。単に会社のマーケティング戦略に則ったセールストークは薄っぺらく、美しさが宿った哲学には到底叶わない。自分なりの哲学を持っている者同士は、その哲学自体が相容れないものであっても尊重しあえる。
その境地に到達するまでに味わう痛みを知っている者同士なのだから。
洗練された哲学同士がぶつかり合った結果のNo Dealは美しい。
分かりやすく、高価な抗がん剤を例示したが、どんな商材でも同じであると思う。自分なりの哲学を見出す、大変そうに思えるかもしれないが、この世界がどんな場所か、どんな痛みがある場所か、を考えてみるのがいいのではないかと思う。
「接点よりはじめよ!」の荻野暢也先生風に言うと、「Whereよりはじめよ!」だ。
Whereを考えた上で、自分がどんなポジションをとるのか、世界の痛みを何とかしたいのか、諦めて冷笑的な立場をとるのか、正解なんてないし、自分で悩んだ末に出た答えなら15点だとしても正しい。
営業担当として、自社の商品やサービスを普及させることに意義を感じない、疑問を感じる、つまり、会社にとって若干めんどくさい社員になっている、そんな時は自身を振り返る良い機会だと思う。
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