Tokyo Marathon

2023.03.14 お知らせ

2020年3月1日に自身のランナーとしての歴史に東京マラソンの完走を刻むはずだった。


新型コロナウイルス感染症の流行が始まり、大会の2週間ほど前に、「エリートランナーに限る」という条件付きでの開催が決まった。
無念。その一言に尽きる。初めての東京マラソンに向けて、普段よりも入念に準備を進めてきたのだから。そこから今までの3年間はコロナウイルスと共にある生活を強いられる事になる。


様々な行動が制限される中、自身はリモートワークにも適応し、過度にウイルスを恐れることもなく、旅行や飲み会にも行った。
大きな生活の変化がありストレスに晒さる人も多い中、幸い自身はほとんど普段と変わらぬ生活を送ることが出来た。


そんな中で、自身にとって唯一戻らなかった日常が数千人〜数万人が参加するマラソン大会である。
コロナ禍の前は、年に2〜3回は全国のどこかのマラソン大会に参加し、その都度、自身の自己ベストに挑戦してきた。
そのことが生活のテンションを保ってくれていた。確実に。


コロナ禍においても自身のランニングの習慣は継続した。ただし、レースという目標がないので、何となく距離を重ねるだけの日々が続く。
惰性以上日課未満、そんな表現がしっくりくる。そんな生活がしばらく続き、ようやく迎えた東京マラソンのスタート。


38,000人のランナーが参加し、そのうち6,000人のランナーが外国人であるという国際色豊かなレース。
改めて、東京は世界に誇る日本の首都Tokyoであることを認識した。スタート地点には、スタート時間の40分ほど前に到着した。
寒い中スタート時間の訪れを待つ。この感覚も3年以上味わっていなかった。これだけで十分に懐かしい。


号砲が鳴った瞬間、一斉に大勢のランナーが街に飛び出す瞬間は感極まるものがあった。
そのピストルの音は、自身に日常が戻ってくる合図のように思えた。東京マラソンのスタート直後は下り坂なのでスピードに乗りやすい。そう完走者の友人から聞いていた。
後半のことを考えると、ペースを抑えるべき、分かってはいるが周囲のランナーのペースと自身の高揚した気持ちのせいか、制限が効かない。


いつもなら2km時点までには安定する1km当たりのタイムが大きくバラつく。嫌な予感しかしない。
案の定、25kmくらいで足がダメになった。いつもよりも10kmほど早いタイミングでその時が来た。
レースへの出場に合わせたトレーニングを行っていなかった3年という時間の重さを実感した。


自身の切り替えは驚くほど早かった。「楽しもう。」3年前までの自分なら「少しでも早く」ともっと足掻いたと思う。
諦める自分、足掻く自分、どちらも自分なのであろう。もう足は残っていない。自分をゴールまで導いてくれるのは沿道の応援だけ。


プロビティのメンバーに加え、数名の友人が応援に来てくれた。本当にありがたい。また、見知らぬ多くの人も応援をくれる。
「ここから!ここから!」「頑張れ!」「Way to go!」「加油!」「Vamos!」
様々な言語が背中を押してくれる。ようやく戻ってきた大手町の直線、左右の沿道からこれでもかという応援・労いの言葉を頂く。


最後のこの直線だけは、ずっと味わっていたいと思う。42,195kmの長い旅の中で、苦痛と向き合い、応援に鼓舞され、ようやく辿り着いたゴールで達成感という報酬を得る。


何者でもない自分が何者かになれたような錯覚に陥る。この錯覚を味わいたいがためにマラソンをやっているのかもしれない。
また、どこかの街でお会いしましょう。

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