何者

2023.03.27 お知らせ

人間は一度、知性・知識を獲得してしまうと、獲得する前の状態には戻れない。


アンラーニングという言葉を耳にすることが多くなったが、それは知識を捨てることではなく、既に持っている知識を、唯一正解のものではなくいくつかの選択肢のうちの1つと認識し”それもあるよね”と考えられる状態にすることと解釈するとしっくりくる。


故に、一度獲得した知識・知性とは生涯付き合っていくことが求められる。

多くの人は成長・発達の過程で「自分は何者か」と自身に問うタイミングがあるんじゃなかろうか。
これも一種の知性の獲得と言っていい。

つくづく厄介な問いだなと思う。

我々は社会の相対的な価値観(社会の規範と言っていいかもしれない)に支配されていることが多い。
無意識すぎて、それが相対的だということにも気づかず日々を過ごしているのが現実かもしれない。価値観が相対化された中で、「自分は何者か?」という絶対的な価値観を見出す作業は多くの人にとって辛いものなのかもしれない。

その辛さのせいで、大切なことを教えてくれようとしている違和感から目を逸らしたくなることもあるだろう。
そこはグッと堪えて、勇気を振り絞りその問いに向き合いたいものである。

これは自身に言い聞かせている。
目を逸らそうが、なかったことにしようが、「自分は何者か?」と問う前の自分には戻れないのだから。

その暴れ馬を一度や二度、手懐けることが出来ても、必ずまた暴れ出す。別に恐怖を煽りたい訳でない。現状のままでいいんだろうかという朧げな不安、変わることへの恐怖・億劫さ、自分はこんなもんじゃないというある種の希望、このような何とも形容し難い思考の狭間に、何者という言葉の持つ独特な妙味が存在しているような気がする。

何者か?という問いを自身に突きつけ続けることは、辛い作業ではあるけれども、必ず人生をより味わい深いものにしてくれる。

孤独の中で自身に問うもよし、気の置けない仲間に自身の葛藤をさらけ出すもよし。時には逃げ出してもいいと思う。

臆せず、Identityの不可侵領域に飛び込んでみよう。

「人生は、解かれるべき問題ではなく、経験されるべき現実である。」

100年以上も前にセーレン・キェルケゴールが僕たちに勇気を与える言葉を残してくれている。

人や社会は、いまよりも、もっとよくできる。
あなたの思いとスキルで、もっと未来は変えられる。

ソーシャルグッド志向の企業と出会える、ソーシャルグッドキャリア・プラットフォームのサイトはこちらになります。

転職市場を知るプロによる、転職ありきではないキャリアの壁打ちサービスを行っています。もやキャリ®相談室はこちらからどうぞ!